2004年4月4日

「仕事は固まってやって来る」

 やー、久しぶりですね。と涼しい顔のわたしなのでございます。二ヶ月お休みというのは、新記録達成。万歳!!(バ キッ!!)
 その上「同窓会2」のお約束もないがしろにして、言い訳でございますが、前回のアップが一月末でした。その後大変な忙しさに追いまくら れていたのです。今回は長文ですしんどくなったらごめんなさい。
 わたしは某大学(芸大系)の実習指導講師をやっているのですが、卒業の時期になりますと、講師業とは別に、卒業記念のCDを作るという こともやっておりまして、これが、ちと大変なのでございます。
 二月あたまに卒業予定の学生たちのリストをもらって、プログラムを組んでゆくのですが、三月の第一週の金曜には作品展(卒展)の撮影が あります。ここで、先ず卒業予定なのに作品の出ていない学生が必ず毎年何人かいます。卒業予定なのでとりあえずプログラムから作品の写真のリンクを外し ます。そしてテストCDを担当教授に校正してもらって、卒業式の約一週間前に最終卒業生が決定。ここで一からプログラムの組み直しが始まります。既に書 き込みのしていないCDRにレーベル印刷をすませ(今回は全面的にBlack Coffeeのママさんにご厄介になりました。ありがとうございます)ジャケットの印刷も終えています。
 そして最終校正のOKが出るのが、卒業式(3月26日)の五日ほど前。CDR120枚に焼き込みは3回生の学生に手伝ってもらって一日 がかりで仕上げ、翌日無事納品。卒業式当日は大変好評だったそうで、あらためてお手伝いいただいたみなさんに感謝いたします。
 で、話は元に戻りまして、この仕事以外に本業のカメラマンとして撮影あり、大学の共同研究のパネル制作、恒例のデジタル勉強会とO社の 講師、当然のことのように飲み会?そしてわたしにとっては最も嫌な仕事「確定申告」という大仕事までこの時期に一時に押し寄せたのです。来年はせめて確 定申告だけでも事前にすませておこうと反省している今日この頃です。

 写真は神戸湊川公園の桜。いつのまにかこんな時期になってしまってました。それからお約束の「同窓会2」を載せておきま す。文章は以前から出来ていましたが、なんだか掲載するのが億劫になって今回のような次第でございます。

 前回のつづきです。同窓会場にはざっと40人の仲間が集まっていた。私達の時代は団塊の世代の終わりにあたる。50人弱 のクラスが12あった。計算上五百数十人、一割には充たないがなんといっても37年後に来る数としては、けっこう多いのでは無いだろうか。
 しかも後述のH君の話では毎月に近いくらい集まっていると云う。妙な感じがちょっと頭を掠めた。とは云ってもやはり37年ぶりに会う と懐かしいもので、あっという間に一次会は終わってしまった。ほとんど、「君は誰だ?」の世界だった。二次会は私の大嫌いなカラオケだったが、別に歌わ ずにH君と話をすればいいので、と云う事でおつき合いをした。
 2次会も終わるとやはり3次会でしょうと思っていたら、バラバラと夜の街に皆さん男女二人連れになって消えていく。あっという間に誰 もいなくなった。そういうことですか、ということでH君と男二人で飲みに行く事になった。
 話は前後するがH君は県警の刑事である。私も身体は大きいがH君は横幅もでかい。一見マル暴系のデカに見える。が捜査2課ということ で、やくざ屋さんとはあまり関係が無いらしい。(まったく関係が無い訳でも無いが)普段は企業犯罪を扱っていると云う事だった。
 同い年のマスターがやっているBARに行ったが、日曜日でお休みだった、またもや、同い年の大将がやっているお店(別に隠す必要もな いのではっきり書いてしまうと「蛸の壷」)に行く。暖簾はもう下ろしていて、スタッフはまかないの夕食を食べていた。あつかましくも「ちょつと飲まして よ」と言うと大将は全く気にしない様子で飲ませてくれた。そして飲んでいる間、H君がどうも落ち着かない。電車が無くなりかけたので、もうそろそろと店 を出ても、何やら携帯電話でメールをこまめにチェック。後日知ったのだが、一応お休みの日だが部下は張り込みをしていて、指示をだしているのだった。 「今日は帰れんようになったからここで失礼するわ」とH君は夜の街に消えて行った。
 その後一月経ったが、同窓会の連絡はない。H君とは隔週に一回くらいの感じで飲んでいる。もう同窓会で飲まなくてもいいかと思いはじ めている。