2004年7月29日

「転 落」

 中島らもさんが亡くなった。神戸のどこかで飲んだ後、 階段から転げ落ちて頭を打ち入院していたらしいが、結局脳挫傷でお亡くなりに なったと新聞に出ていた。
 もう20年ほど前になるだろうか、公開TV番組の取材で撮影した事がある。まだ 世間的に有名になる前だったけれど、その頃から不思議な存在感を感じた。司会 者は「喋る置物」と彼の事を称していたが、ほとんど喋る事もなくほんとに置物 のような印象だった。それ以来とても気になる存在で、「啓蒙かまぼこ新聞」か ら「ガダラの豚」あたりまでほとんどの著作は片っ端から読みあさった。らもさ んとわたしは同い年で、生まれ育ちや地域的なものもよく似ている。最も私は灘 高ではなかったが.....彼の著作に出て来る若い頃の環境などまるで同時代なの で、すんなりと「らもワールド」に入り込む事が出来た。突然著作物が出なく なったと思ったら、麻薬取り締まり法で捕まっていたり、出所するとそのネタで また本を書いたりして、さすがらもさんと感心したりしていた。まだ、その本は 読んでいないのだが、もうそろそろ読んでみようかなと思っていた矢先の事だっ たので、とてもショックだった。
 ショックといえば、彼が泥酔で階段から落ちたのは7月16日とあったが、実は わたしはその3日後の19日に同じように酔っぱらって、駅のホームから線路に転 落した。幸いな事に電車がくる事もなく、らもさんと違って頭も打たなかった。 すぐに起き上がって、自力でホームに上がろうとしたところを駅員さんが引っ張 り上げてくれた。電車もなくなったので、タクシーで帰宅したが、転落した前後 のことはほとんど覚えていない。翌日目が覚めたら体中が痛かったので、やっと 何があったのかうっすらと思い出したくらいだ。
 会う人ごとにこの話をすると「よくまあ無事でよかったけど、どこの駅で?」 と聞かれる。しかし今だにどこの駅で転落したのか記憶がない。これは記憶喪失 ではなく単に酔っぱらっていたので覚えていないと云う、わたしの近年体得した 術であるが、身体は正直に覚えていてくれるのか、10日も経とうとしているのに 左骨盤はまだ痛む。

 中島らもさんのご冥福を御祈りします。合掌。

写真は2件の転落事件のちょうど間頃、久しぶりに夕焼 けを見た