バークレーだよりーーテロとその後

大恩あるロタさんからなんか書いてください,と依頼されました。仕事では必要に迫られ
て文章を書きますが,何でもいいよ,と言われると,子どものころの夏休みの宿題の作文
を思い出します。

仕事でカリフォルニアに住むようになって7年が過ぎました。渡米後最初の講義(大学で
教えています)は,阪神淡路大震災の起こった日でしたので,忘れもしません。この7年
間,世界も日本も全く様変わりしてしまいました。1995年ころから私の住むサンフランシ
スコ・ベイエリアはインターネットが爆発的に普及し,アメリカ一人勝ちの経済になりま
した。日本では,オウム真理教事件があり,金融危機があり,東海村臨界事故があり,ほ
とんどすべての役所と銀行の名前が変わってしまいました。それでも,どっこい、人は生
きているのですね。当然のようで,この生きていくのが本当に大変で大切に思われたのが
この7年間でした。

異国に住むと,周りに暮らしている大多数の人々とどこか「ずれた」存在となるもので
す。在日韓国人なので,日本も私にとっては形式上は異国です。したがって、日本にいた
ときも「ずれ」はしばしば感じましたが,こちらに来て,そのずれの構造がいっそう複雑
になりました。周りの米国人から見れば,どうでもいいこと,あるいは世界中どこにでも
ころがっているありふれた事のようですが,私の中では,ずれが二重構造になっているよ
うでした。このずれは,時々,日本に帰ると三重に増えます。私の知っていた日本がだん
だん変わっていって,一致しなくなるのです。

このコラムがどのくらい長く続くのか、あるいはこのホームページ自体どれだけ長続きす
るのかわかりませんが(失礼!)、ネタがたまったところで,不定期に私の感じた「ず
れ」をお話しようかと思います。「ずれ」というのは放っておくと心の中でどうも居心地
が悪いらしく,誰かにしゃべってすっきりしたくなるのです。

最近感じた「ずれ」の中で一番強かったのは,あのテロの後のさまざまな動きでしょう。
テロが起きたとき,私はたまたまパリにいて、その翌々日に南仏の核研究施設に見学にい
く機会がありました。TGVの出発するリヨン駅は兵士一名と警官二名の編成の警ら隊が
多数巡回していました。アヴィニオンに近いその施設に到着すると,当然ながら普段にも
まして厳重な警戒でした。正午になったとき,全所員が仕事の手を止めて三分間の黙とう
をささげていました。その前に,所内の放送があり,友人である米国の受けた不幸に対し
て,うんぬん、と言っていたようです。これがとても印象的でした。同じころ,ドイツの
同様の施設にいた人の話を後で聞くと,やはり同じような対応だったようです。それで
は,日本はどうだったのか?後日尋ねた限られた数の人の話から推測するに,日本の同様
の施設ではそのような対応はなされなかったようです。

奇しくもテロの起きる前の週、サンフランシスコでは講和条約締結50周年を記念して、日
本からも多くの著名な人が訪れ,式典が行われました。そのとき,日本は米国の友人であ
る,と米国の参加者からも日本の参加者からも繰り返し指摘されたのですが,その翌週に
その言葉が本当かどうか試されることが起きるとは誰も予想しなかったでしょう。実際,
私が見ていたかぎりでは,CNNに小泉首相の映像が出たのはテロの後ほとんど一週間
経ってからでした。簡単にいうと,日本は米国の友人ではなかったのですね。それはそれ
で構わないのですが,ではなんだったのだろう、と思いました。

ようやく空港が再開してカリフォルニアに戻ってみると,全く違った景色に見えました。
星条旗を立てている家,車が日を追って増えていくのです。私はその後二ヶ月以上,これ
についていけませんでした。自分がアメリカ人ではないので,当然かもしれませんが,周
りの人との違いを思い知らされました。今はあまり旗も目立たなくなりました。感謝祭か
らクリスマスまで,家の飾り付けをするので,クリスマスが終わって飾りを取るときに旗
も一緒にしまった人が多かったのではないか,というのが私の推測です。

テロの直後,CNNなどでは,真珠湾攻撃との類似性をいいたてていましたが,私はこれ
にもずれを感じていました。真珠湾攻撃とは似て非なるものです。数日してこのような対
比はマスコミが自粛したようですが,このことに関して,在米の日本の外交官が公に一言
も反論しなかったのが変でしたね。こういうとき仕事をしないで,彼らはいつも何をして
いるのだろう。どこでも,彼らはいいところに住んでいますからね。最初に反論をしかけ
たのは,日系人の団体でした。真珠湾攻撃で最も打撃を受けた彼らが,その弁護のような
ことをしなければならないめぐり合わせ。彼らの心情,いかばかりだったでしょう。

テロから二ヶ月ほどして,出張でボストンに行きました。帰りの飛行機はユナイテッド航
空、ボストン午前7時発,サンフランシスコ行でした。さすがに乗客皆緊張していまし
た。二時間前に空港に来ないといけないといわれて,午前4時に起きて空港に向かったの
ですが,空港のセキュリティが思ったほど厳しくないのです。これも,あれっ、ですね。
ボストンといえば,テロリストが集結したところですから,さぞかし厳重かと思ったの
に。

年末年始は日本で過ごしたため,大阪とサンフランシスコを往復しましたが,どちらも飛
行機は満席でした。日本の不況は相当厳しいのかと思いきや,高級なおせち料理が飛ぶよ
うに売れたり,温泉地が満員になったり,これもまた,「あれっ」ですね。

アメリカの大学はおよそ7年間勤めると、1年間はどこか他の場所で研究をする機会を得
ることができます。私の場合,今年それを利用して別の研究所に滞在することにしまし
た。次回はそこでの「あれっ」をお話します。

最後になりましたが,今日は阪神淡路大震災からちょうど7年。犠牲になられた方のご冥
福をお祈りします。合掌。

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