バークレーだより 「アメリカ大学教員のサバティカル・ライフ」

サバイバルではありません。サバティカル(sabbatical)です。手元の辞書を引
くと「研究休暇」と書いてあります。語源をたどると、旧約聖書にあるSabbath
という言葉にたどり着きます。神様が6日間かけてこの世界を作られた後、休日
とされた7日目をSabbathというのだそうです。 同じように、アメリカでは6,
7年勤めた大学教員に対してこの資格が発生します。そして、退職するまでおよ
そ7年毎にサバティカルをとることができます。私は今、そのサバティカルを利
用して、今年の1月から米国のL国立研究所に滞在しています。原子力方面の人
々にはいまさら説明する必要もない有名な研究所(水爆発祥の地)です。

「研究休暇」と訳されており、私も準備を始めるまではその程度の理解でした。
同僚から、「そろそろサバティカだけれど、何をするつもり?どこに行くの?」
と聞かれるころになって、うーんそうか、家で盆栽いじり(私にはそもそもそう
いう風雅な趣味はありませんが)などしていてはいけないのかな、と遅まきなが
ら感じ始め、前例を調べてみると、いわゆる「休暇」ではないということがわかっ
てきました。

「研究休暇」というよりも「転地療養」のほうが近いかもしれません。6,7年
の間にたまった浮世のしがらみ(?)から一度抜け出て新しい展開を考えてくる
チャンスと私は捉えました。先輩格の同僚のサバティカルのとり方を見ていると、
たとえば、最初のサバティカルの1年間で、彼は原子炉の確率的安全評価に研究
の対象を特化させ、その次のサバティカルでは確率的安全評価の対象を環境一般
に移し、昨年のサバティカルでは環境問題を工学と倫理の問題に敷衍し、世界を
旅して思索し資料を集めて今学年からの講義の準備をしていました。彼に言わせ
ると、次の6年の飯の種を見つけてくるのだそうです。そして、それはその前の
6年の仕事の中で必然的に見えてくるものだと。見事なまでに、サバティカルを
節目に仕事の展開にリズムができていて、大いに学ばせてもらいました。

私の場合、日本で仕事をしているときから考えると狭い領域でかれこれ10年以
上仕事をやっていて、そろそろ自家中毒だということも自覚していました。この
「毒」を少し薄めて、もう少し広い視野を得るには何をすべきか?遅まきながら、
これは研究者としてどう生きるかという問題にもかかわっていることに気がつき、
真剣にどこで何をすべきかを考え始めました。

もうひとつクリアしなければならない問題がお金です。大学から離れてよい、と
大学が言うからには、当然給料の保証もあるのですが、これがなかなか実際には
そういうわけでもない、というのがおいおいわかってきました。それぞれの学科
は毎年予算を計上しカリフォルニア州政府(直接的には学部長)の承認を得ます。
その予算には教員、職員の人件費、設備費などが含まれますが、それを取りまと
める学科主任から見ると、サバティカルの教員が州から丸々給料をもらっている
というよりも、サバティカル滞在先のサポートがあって、学科の負担が軽減して
いるというところを見せるほうがよいようで、しきりにそうするように勧めてき
ます。実際、米国の大学教員は多くの場合、正規の学期中9か月の講義に対する
分しか給料をもらっていないのでたとえサバティカルで丸々サポートしてもらっ
ても残りの3か月分は普段と同じようにどこからか調達しなくてはいけないわけ
です。したがって、サバティカルをどこでするかというのは、どこがスポンサー
になってくれるか、ということでもあります。

その間の学生の面倒をどう見るのか、も結構頭の痛い問題です。こちらの工学系
大学院生は、多くの場合、教員が外部から獲得してくる研究資金から支払われる
給料と授業料で生活を維持しています。教員と大学院生の間には雇用関係が成立
していますので、サバティカルの間もそれを継続しなくてはいけません。州立大
学といえども、外国人留学生の場合、州民の子弟よりも授業料は一桁近く高くな
りますので、1年間サポートしようと思うと一人3〜4万ドル程度必要になりま
す。

余談ですが、日本でも米国の大学のシステムを取り入れることが試みられている
ようですが、こういう厳しい市場原理をどこまで本気で取り入れる気があるのか、
疑問ですね。学生は、将来性のあるテーマと潤沢な研究予算を持っている教員の
下に、蜜に群がるありのように集まってきます。教員はよい学生を選んで研究を
行い、成果を挙げてさらに予算を獲得するわけですが、これが悪循環にはいると。。。
考えるだけでも寒気がしますね。学生が授業の評価をするシステムも教員の昇進
と給与に響いてこそのシステムですが、日本でそこまでやる気があるかどうか。

先ほどの先輩の話を思い出し、今までの仕事の中に次の6年の「芽」となるよう
なものがあるだろうか、と考えました。そのころから米国では原子力が復活の兆
しを見せていました。原子力復活の兆候はカリフォルニアの電力危機でほぼ決定
的となりました。しかし、またぞろ、同じものではだめだ、では将来の原子力と
はどうあるべきなのか、といった議論が高まりつつありました。そういうとき廃
棄物問題はいつも最重要の課題になるのですが、莫大な時間と費用と人的資源を
つぎ込んで得られた知恵がそれらの議論に正しく反映されていないと感じるよう
になりました。その橋渡しができれば、何かの役に立つかもしれないと考え始め
ました。

ということで、冒頭のL国立研究所にお願いして受け入れてもらうことにしまし
た。昨年のテロ事件などがあり、手続きはどれもとても時間がかかり煩雑だった
のですが、何とかクリアできました。幸いなことに、この研究所では今年度から
包括的なサバティカルのパッケージプログラムをスタートさせていて、私もそれ
に入れてもらえることになりました。指導する学生二人の財政的補助も含まれる、
という配慮の行き届いたものです。

計画では、今年の1月初めからスタートさせるつもりでしたが、私と2人の学生
がともに外国人であったため、入所の許可がなかなか下りませんでした。ようや
く2月はじめに許可が下りて、バッジを作ってもらい、入所して用意されていた
3人のオフィスに行きましたが、今度は、コンピュータの調達で一苦労。どの部
屋でどのコンピュータを使うかまで決めて申請し承認を得なければならないとい
われました。手元の机の上に少し時代遅れのベージュ色のマックが来るまでさら
に1月かかりました。恐る恐る、日本語のメールを読むように設定できる?と担
当者に聞いたところ、彼女はにたっと笑って、「あなたは幸運よ。日本語だった
ら大丈夫。私が日本語ができるので。」といってインストールしてくれました。
彼女の夫が日本人で相当なところまで理解できているようでした。言い忘れまし
たが、所内へのコンピュータの持ち込みは当然厳禁。電子辞書のようなものでも
だめだそうです。

所内は大変静かです。所内の移動はそこここにある自転車を使って行うのですが、
それ以外あまり歩いている人を見かけません。カフェテリアはあまり大きくない
ものが3つあります。

おおむね環境がそろってそろそろ2月ですが、やはり「休暇」だな、と感じてい
ます。講義やその他の学内の会合で細切れだった時間がつながって一日使える、
ということがこんなに違うということに改めて新鮮な驚きを感じています。

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