バークレーだより 「戦争と平和」

今年(2003年)は何の年だかご存知ですか?原子力の平和利用が始まってちょ
うど50年です。1953年12月8日、アイゼンハワー大統領が国連総会で行っ
た演説(Atoms for Peace)を契機に、原子力・核に関する情報が公開され、日
本やドイツのような敗戦国(今で言う悪の枢軸)も含めて原子力の民間利用研究
が始まったのでした。アイゼンハワーも100%善意でこの演説を行ったわけで
はなく、急速に核兵器の開発を進めていたソ連をけん制するためであったという
見方もあります。

その後、紆余曲折を経て今では日本の実発電量のおよそ30%を原子力がまかな
うまでになりました。これをもしすべて石油火力で行ったとしたらおよそ2億ト
ンの二酸化炭素が毎年大気に放出されることになります。原子力発電をすると放
射性廃棄物が発生するので、地球温暖化と放射能のリスクのどちらをより深刻と
考えるか、の比較の問題です。

この50周年を記念して、米国など各地で記念のシンポジウムや研究会が行われ
ています。私もいくつかに参加する機会がありました。そのうちのひとつはちょ
うどイラク戦争がバグダッド陥落で終わりかけていたころに行われました。主な
議論のポイントは、核兵器を今後どうするか、ということでした。核兵器を実際
に設計したり管理したりしている人が多数参加していました。印象的だったのは、
冷戦下で主な仕事をした旧世代の人だけではなく、結構若い(20代、30代)
研究者がいたことです。

日本の常識(あるいは願望)からすると、核兵器というのは悪であり、どのよう
に廃絶するかということしか考えられない、ということでしょうが、唯一の超大
国となった米国はそうではないようです。そのワークショップでの論調もどのよ
うなシステムが将来有効な核兵器となるか、ということでした。冷戦下の核兵器
は使えないことによって(あるいは使えなくても)その存在価値があったが、今
後は使える核兵器を開発すべし、という意見も多くありました。「核先制攻撃」
といった物騒な可能性も取り上げられていました。一発で都市を壊滅させるよう
な大規模なものでなく、小規模なものが考えられているようです。

このワークショップはその後場所を日本、フランスと移して最近一応完結し、そ
の後12月8日の総まとめに向けてさらに検討が進められると聞いています。私
は日本で開催されたものにも参加しました。主題はもちろん原子力の民間利用で
したが、第1回での論調をそのまま引きずって、かなりの部分が(民間平和利用
を口実にした)核拡散の問題に費やされました(核拡散を考えると、小規模核兵
器というのは自分の首を絞めるようなもので、まったくおろかな考えですね。
局所的な最適化を図って全体として間違った選択をする、いい例です。)。

日本は原子力というと平和利用だけが表ざたに議論され、核兵器というと、廃絶、
反対、というどちらもパブロフの犬のような反応の仕方ですが、米国の考え方は
両者不可分です。地球温暖化などを考えると原子力利用を進めるしかない、より
多くの国で展開しないと実効性が薄いが、その結果核兵器も拡散してしまうと米
国の優位性が損なわれる、何とか米国の管理・支配の下で原子力を利用する仕掛
けを考え出さねばならない、というのが米国の思惑です。(これはアイゼンハワー
の演説も基本的に同じです。)

核兵器廃絶に向けて何か意味のある実質的なインパクトを与えようと思ったら、
「反対」と言うだけではだめで、核兵器の本質を知り尽くした上でそれを無力化
する方策を編み出す努力が必要だと思います。知り尽した上で、作らない、とい
う自制が将来の日本にあるかどうかわかりません。また、ちゃっかり米国の核の
かさの中にいる日本にとっては、「反対」と言うだけにとどめておくのが程よい
というのが国民の暗黙の合意なのでしょうか。

もうすぐ原爆忌。今年はとりわけ考えさせられる節目の年のようです。